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Your search : [ author:文·写真 劉東平] Total 774 Search Results,Processed in 0.101 second(s)
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1. 大同に古代の歴史を訪ねる
山西省大同は北京の西方約三八〇キロ、内蒙古に近い台地にある。夜の十一時に北京駅をたち、ひと眠りして目が覚めたら、大同駅だった。雲崗石窟に眠る仏像五万体大同の雲崗石窟は中国が誇る三大石窟の一つである。一九七二年、周恩来総理と一緒にここを訪問したフランスのポンビドー大統領が、雲崗は世界最高の芸術の一つだと絶賛した。石窟は大同の西一六キロ、武周山の北面に蜂の巣のように並んでおり、現存する主な洞窟は五十三
Author: 文·写真 劉東平 Year 1997 Issue 2 PDF HTML
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2. 丸ごと「地質博物館」雲南·騰沖県
雲南省西部に位置する騰沖県はその独特の地形と周囲の火山がもたらす豊かな資源で知られ、「自然の地質博物館」とも呼ばれる。火の山に登る私たちを乗せたバスは、騰沖県の町から北へ二十キロほど走ったところで停車した。夕暮れ時の空の下、赤土の大地が広がり、その向こうに三つの山が見える。一見、何の変哲もない山だが、実は比較的最近生まれた火山だとのこと。それぞれ大空山、小空山、黒空山という名前がついている。騰沖県
Author: 文·写真 劉東平 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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3. 五福茶芸館
北京市地安門にある五福茶芸館は、細やかな配慮の行き届いた店のつくりと優雅な雰囲気で客の気分を和ませてくれる。店内はそれほど広くはないものの、かつて宮廷などで用いられたという宮灯がいくつも並び、趣はたっぷりだ。茶室は竹の簾によって隔てられ、八人掛けの大きなテーブルを置いたもの、畳を敷いたものなどがある。チャイナドレスを身にまとった従業員の接客にも温かみがあり、店内に流れる中国の伝統的管弦楽器の音色が
Author: 文·写真 劉東平 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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4. 北京の敦煌 雲居寺
北京市街地から南西へ約七十五キロ、房山区白帯山の麓にある。洞窟の中に仏教経典を刻んだ珍しい石板が一万点以上あることで知られ、「北京の敦煌」とも呼ばれる。雲居寺が建てられたのは今から約千三百年以上の昔、隋末から唐初にかけてのこと。隋の大業年間(西暦六〇五~六一七年)に、静琬という高僧がその師慧思の志を受け継ぎ、石板に教典を刻む作業を始めたとされる。これは仏教経典を災難から守り、後代に伝えるためだった
Author: 文·写真 劉東平 Year 2000 Issue 6 PDF HTML
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5. 氷の洞窟と懸棺と
大自然の宝庫·蘆芽山(二七三六メートル)は、山西省西北の寧武県にそびえる山々の一つ。その名はあまり知られていないが、だからこそ神秘のベールに包まれたけがれのない美しさがある。華北落葉松の故郷その日は朝早く、蘆芽山のふもとを出発した。車はひたすら山道を走る。登れば登るほど林は密になり、緑も濃くなっていった。一帯は、寧武県の五十キロにも及ぶ密林の中心区域、ここの生育に適した華北落葉松(カラマツの一種)
Author: 文 写真·劉東平 Year 2001 Issue 7 PDF HTML
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6. 賀蘭山―乾きの大地に生命はぐくむ
自然が生んだ防波堤飛行機が寧夏回族自治区の上空に入ると、眼下に広々とした銀川平野が見えてくる。その外れに雄大な姿を見せているのが、中国西北部の名山賀蘭山だ。賀蘭山は起伏を繰り返しながら西北から東南に伸びる山脈である。寧夏回族自治区の区都銀川市から、車を飛ばして賀蘭山に向かう。行く手に見えるその雄々しい姿は、疾走する馬のよう。賀蘭(ホーラン)はモンゴル語で「駿馬」を意味するという。二十億年前、賀蘭山
Author: 文 写真·劉東平 徐毅仁 Year 2000 Issue 2 PDF HTML
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7. “縁結び作戦”進行中
姉の悩み「女は年頃になったら嫁に行くべし」中国ではよくこんな言い方をするが、私の姉瑩瑩(いとこインイン)は今年もう三十二歳になるのにまだ結婚していない。こう言ってはなんだが、姉は上品でしとやか、教養も人並み以上ある。それなのに、なぜいまだに結婚相手が見つからないのか。話せば長くなるが、「文革」がはじまったころ、まだ天真爛漫な中学生だった姉は、「知識青年は農村へ行くべし」という当時の大勢にしたがって
Author: 劉東平 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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8. 中等職業教育のモデル校北京勁松職業高校を訪ねて
わたしは北京市東南の一勁松」団地に住んでいる。このあたりには高層ビルが林立し、道路は広く、街路樹も緑豊かである。家からほど近いところに、沙板荘中学校がある。毎日の出勤途上、学生たちがかばんを背おい、数人ずつ連れだって学校に入っていく光景をよく目にする。が、ある日正門わきにかけてある校名が「勁松職業高校」に変わっているのに気づいた。それに、学生の服装も違う。ジャンバー風の作業服を着ているもの、コック
Author: 劉東平 Year 1985 Issue 11 PDF HTML
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9. よい子を生んで上手に育てよう
最近、北京市計画出産委員会で知り得たところによると、この人口九二三万人余をようする大都会北京市はすでに人口数を効果的にコントロールし、人口の伸びを計画的に抑制することができるという。六十年代中期、まだ計画出産を実行していない時、北京市の人口の自然増加率は千人につき(以下同じ)三十五前後であったが、一九八四年には八·五九となった。この二十年間に、人口の自然増加率は二六·四一低下し、すなわち二百五十六
Author: 劉東平 Year 1985 Issue 12 PDF HTML
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10. 中日友好病院を見学して
中日友好病院は北京の東北の方向、桜花路の東側にあり、一九八四年十月の開業いらい、一年あまりたった。数多くある北京の大病院のうちでも一番若い病院であるが、後の雁が先になるとのことわざのように、その名声は広く国内外に伝えられている。先日、筆者はこの病院を見学した。最先端の医療設備敷地八〇〇〇平方メートルをこえるこの病院は、十四階建ての病棟を主体として外来診察用ビル、リハビリ·センター、臨床科学研究所、
Author: 劉東平 Year 1986 Issue 5 PDF HTML